有罪モラトリアム

明日のことはわかりません

変えられるものと変えられないもの


ニーバーの祈り(Serenity prayer)って知ってる?


アメリカの神学者のニーバーさんが書いたやつ。そのまんまですが。
今日はその話と自分の現状について書いてみる回です。

 

God, give us grace to accept with serenity
the things that cannot be changed,
Courage to change the things
which should be changed,
and the Wisdom to distinguish
the one from the other.

 

引用元、全文:
http://www.beliefnet.com/prayers/protestant/addiction/serenity-prayer.aspx

訳:
神よ、
変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。
変えるべきものを変える勇気を、
そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えて下さい。


これ、どこで知ったのかな?
電車乗ってるとき外国人が来てたシャツに書いてた?のかも
よく分からんけど、3回生のときに行った就活セミナーみたいなやつでも似たようなこと言われたな。
「コントロールできるものとできないものを見極めなさい」
みたいな。就活におけるコントロールできないものって、学歴であったり見た目?だったり今までやってきたことであったりする。それらはもう変えられないから、変えることができるものをどうにかしなさい。
って言われたのを覚えてる。
まあそのセミナーで「あっ、今のわたしには就職まだ無理!院行く」って院進決定したわけやけど(笑)

このニーバーの祈り、すごく大切にしたい。
今のわたしにとって『変えられるもの・かえられないもの』って何なんだろう?まずそれが課題。


一昨日、身体の調子がよくて日記も書いていい感じ〜!Fooo!!だったんだけど昨日舞台から帰ってきてから一気に鬱の波が来てやばかった。
やばかったっていうのは泣く、自傷に至る、ベランダで動けなくなる、の意味です。
今日になっていやこれは明らかに躁鬱やん!!って気付いた。
電話してたお母さんにも「顔見てなくて、電話してるだけだけど、あなたが躁のときと鬱のときの違いはよくわかる」って言われた。
血圧みたいに気分が変わるとしたら(高くなるほどやばい、60が普通とすると)昨日は160で今日は120とかだったかも。医療関係に詳しくないので分かりませんが。

分からないものって怖いやん。
だから、ちゃんと改めて病名を調べたわけ。

 

ICD‐10 精神および行動の障害―臨床記述と診断ガイドライン

ICD‐10 精神および行動の障害―臨床記述と診断ガイドライン

 

 

これは、通ってる精神科の先生が診断するときに使ってる本で ザックリ言うとWHOが病気の分類として国際的に出版してるものなんだよね。
特に精神的な病気の名前一覧とその説明、診断基準のガイドラインが書いてあります。

わたしは前から気分障害かな?って診断されてて、自分で気になって調べたらどうやら気分変調症っぽいなーと分かった。

 

気分変調症について↓

「気分変調症」は「持続性抑うつ障害」とも呼ばれます。主な特徴は、抑うつ気分がほぼ1日中続いて、なおかつ長期間におよぶことです。

引用元:

https://e-heartclinic.com/sp/kokoro/yamai_ippan/ippan_kibun2.html

 

うつ病との違いは何なの?って言うと
うつ病は「客観的」に気づかれるもので
気分障害は「主観的」らしい。うつ病で病院にかかってくる人は周りの人に最近おかしいって言われて…って感じで来院するらしい。

※もちろんこれは医療従事者でもなんでもない一個人の印象と考えに基づくものです!

でも客観的と主観的て何やねん(笑)
なんで他人に気づいてもらえないとうつ病じゃないねん?!って思った。
うつ病って診断されたほうがいい(いいってなんやねん)、とかそういう深層心理がわたしのなかにあるのかもしれない。
だって気分変調症なんか言われてもピンと来なくない?うつ病なら周りの理解も得られそうやし。

でも、気分変調症って鬱病と併発してることもあるし「あなたが今鬱傾向であることには違いない」とは診断された。

それを今日思い返してて
「ああ、自分は病気なんだな」
って理解した。性格とかの問題じゃないねんって。心の風邪なんやって。(風邪とかいうけど風邪ごときの苦しさじゃないから(笑)インフルエンザ並みやから!一般人の平熱が35〜36度だとしたらわたしの平熱は38度で鬱のときは40度超えみたいな感じよ)


で、話は『ニーバーの祈り』に戻るけど
今のわたしに変えられるものって何だ?
なんか、
「全部変えられるっしょ!」
とも思うし、
「全部変えられへんに決まってるやん」
とも思う。完全に躁鬱の思考(笑)

 

 

  • 変えられるものって何だろう?

何かを変えるには努力が必要だしそれには体力と精神力も必要なんだよね。だから変えることはとっても疲れる。そんななかで変えられるのは何?分かんないなあ。

 

  • 変えられないもののほうが思いつく。

まずは病気かな。わたし一人では今は変えられない。薬事療法やカウセの先生に話聞いてもらったりすることでしか変えられない。

あとは他人の気持ち。
大好きだった友達にLINEブロックされてめちゃくちゃ凹んでるんやけど、それもしょうがないことだと思う。わたしが暗いことばっかり言うからそれが嫌になってブロックしたんだと思うし、もしわたしの病気が治って元気になったとしても、その子のわたしに対する感情は変えられないかな。
でも別の友達が「離れて行く子はそこまでの縁!残ってくれる子を大事にしたり新しい出会い探したほうがいいと思う!」とも言ってくれた。(こういう考え方できるのすごい。ほんまに好き!ありがとね)
そういう風に変えられないもの、コントロールできないものについては放っておくしかできないな。

 

それは一部諦めでもあり大切にしてたものの喪失でもあるけど、それを超えるような新しいものを手に入れられる可能性も、まあ無きにしもあらずだから。

 

変えられるものを見つけたい。
変えられないことに気付きたい。

 

22歳って、微妙な年齢だと思う。(年齢によって何かを区別したり判断するのめっちゃ嫌いだけど)
『まだ22歳だから、なんでも変えられる』
っていうのと
『もう22歳だから、〇〇は変えられない』
が混在してる気がする。

 

難しいな。

 

まとめると、……何なんだ?(笑)
ニーバーの祈りを通して自分の現状を考えてみた。そしたら変えられるものをまだあまり見つけられてなくて、変えられないものに少し悲観してるってことが分かった。
って感じかな。

 

変えられないものに対する悲しみが生じるのは仕方のないことだよね。
だから変えることができるものを変える勇気やパワーを持てるように、とりあえず健康な日常生活を頑張りたいと思います。

 

あーー頑張るとか言ってしまった。嘘だよ〜頑張らないよ。

 

健康な生活を送られるように、善処します!

読んでくれてありがとう。じゃあまたねん