有罪モラトリアム

明日のことはわかりません

ご存知でしたか、この世は地獄ですよ

肉じゃが作ろっ♪と思って土曜日の朝に買い物行ったくせに玉ねぎ買い忘れたし結局芋煮ることすら面倒くさくなりました。フレンチトースト、野菜炒め、白ごはんとサラダと鮭が週末食べたものです。


2年前のこの月末は人生初のスノボに行ってたみたい。ただその前にものすごい鬱の波が来てて旅行のストレスもあって「死にたい死にたい死にたい…でも夜行バスで事故ったらどうしよう家帰りたい帰りたい帰りたい…」になってた。怖。でも無事スノボ行けました。上級者たちのなかに初心者ぽつんと誘われ、運動神経も悪いしめちゃくちゃ申し訳なかった。靴の履き方もボードの付け方も分からんかったしなんなら最後までリフト降りるの下手くそでギリギリ事故してないって感じだった。スノボ5歳くらいから家族っで行ってる〜!という上級者友達が、自分も滑りたいやろうに付きっ切りで教えてくれてありがた申し訳なかった。スノボは楽しいけどとてもハードルが高かったです。もうちょっと上手くなりたかった。
何回も何回も冷たい固い雪の上に転んで頭ゴツゴツぶつけたけど全然死ななくてびっくりした。飛び降りるときはあれより痛いと思うとゾッとするね。

 


というわけで前置きはここまでです。
今日は比較的前向きなこと書くよ♪
なぜなら躁転しているからだよ!毎年2月はとても体調が悪くてあるときは食あたりも何もしてないのにひたすらに胃が痛くて吐きまくって廊下で倒れたままの日もありました。胃腸炎だった。いわゆる冬季うつがひどくて月末から3月はじめにかけてゆるやかに回復していく感じ。


でも今はかなり元気です。土日どっちも外出したし。1時間も出歩いてないけど。チケット関連の用事もしたし。
何より、進退の決定をしました。


もうね、わたしは死にきれなかった人間として生きていく。
最近気づいた。「死にどき逃したな」って。
1回目は中学生で重度の貧血になって入院したとき。あのまま放置してたら部活中にショック死してた。
2回目は大学進学のとき。合格と引越しでハイになって自殺のタイミングとしてはベストだった。
そしてこの1年、とくに2018年の秋頃から半年。過去の日記を読んでいると学部4回生の夏くらいからゆるやかに鬱になっていっていた。身の丈に合わない期待を押し付けられてストレスが増えていったんだな〜。
休学する前くらいから何度もチャンスがあったのに結局今まで勇気が出ませんでした。
いい意味でもわるい意味でも理性が残っていたんですね。
半年前のわたしは2月か3月には死んでいると見込んでいろいろなことをやってきたし放り投げてきたと思う。とても残念でしょう。


死ぬより生きていくほうがつらいと思ってたけど、いざ目の前にすると死ぬ一瞬がめちゃくちゃ怖いなと思った。
研究棟の廊下の窓から飛び降りるとか、ベルトをドアノブに引っ掛けるとかODはまあ…絶対成功しないけど、とにかくやりようはたくさんあったはずなのに。
22歳で若くて、つらいこともあったけど楽しいこともあったし家族とも仲良くできて円満なハッピーエンドにはぴったりだったのに。完全にタイミングを失った。


残念ながら死ぬ勇気がでなかったわたしは生き残っていくしかないんだな〜。
そして生きるためにどうするか考えていかねばならないんだな〜。


「死んだら負け」とは思わんし、生死を勝ち負けで判断するのが意味不明だけど勇気を持てずに惰性で生きてる人間は情けないし弱いかもなって思う。
でもそういうのも許されるよ


さて。生きていく方法を考えるのって難しくて面倒くさくて嫌で、頭のなかで悶々としていました。しかし躁転したっぽいのもあって結論を出すことができました。やったー。


やりたいこと、っていうかやってもいいかな?みたいなことを見つけたのでそれに向かってまず勉強をするつもりです。
頭の中で進路を描いただけなのでまだ行動には移せてないけど。なんならまだ学校に進退の書類も出せてないし。
それでもとりあえず死にどきを逃した人間として生きます。


まあこれからもっと良い(?)タイミングが訪れるかもしれないし。そのときになったらまた考えましょう。
18歳で南条あやは死んだから、14歳と21歳と24歳でろろちゃんとメンヘラ神とはるしにゃんは飛んだから。…といって死に急ぐことはないのです。


死ぬ方法考えるのやめときます。
どうしようもなくなったら死ねばいっか♪くらいの感じで生きます。


頑張るし、頑張らないでやっていくよ
甘えるし逃げるしサボるし休む♪
わたしがそれでいいよって思ったから!


じゃあ、またね。
おわり。