有罪モラトリアム

明日のことはわかりません

計量カップの底についた液体

生きる気力がなさすぎる。体力もあんまりない。やらなきゃいけないことに割く力とかがない。丸2日間ほとんどベッドのうえで過ごした。寝た時間がはっきり分かんないと夢と現実の区別がつかなくなるな。あれ?〇〇しておいてあげるってパパに言われたやつだっけ?自分でやらないとダメだっけ?みたいな。


精神科に行く予定が1ヶ月前に決まってるのに自分で運転して行ける練習してなかったのわたしが悪いし昨日の時点で家の人に送っていってもらうよう頼んでなかったのも悪いしちょうどいい時間に公共交通機関がないのはこの県が悪いけど。それをちゃんと考えてなかったわたしが悪いし。自分の責任なのってもう全部分かってるんだよな。それでも正論突きつけてくるの、何?1+1=2だよ。うん、分かるよ。温められた空気は膨張して上昇するよ。うん、知ってるよ。太宰治は入水自殺したよ。うん、そうらしいな。お前に起こっている不幸はお前が悪いよ。うん、分かってるよ。だけど何?
疲弊している人間に正論振りかざしてさぞ気持ちがいいでしょうねとしか言えないヨ。


鬱抜けたぁ!で躁転したと思ったらまた具合悪くなっているのどういうこと?何が悪いの?


死にたい。このまま1ヶ月のうちにくる鬱と躁の波に振り回される人生なんか要らない。別にそうじゃなくても生きていたい意味があんまりない。しょうがなく生きてるからしょうがなく働いてしょうがなく楽しみ見つけてるという……最低、こういう考えを持った人間である時点で死んだほうがいい。


精神科医とかおじいちゃんとか最近読んだ哲学史のなかで一貫してる意見に『死ぬよりは生きているほうがいい』っていうのがあるけどそれにどうやっても賛同できない。なぜなの?いきなりその前提出てくるからびっくりする。有神論者がその主張するのは分かるよ。神に与えられた命を自ら葬るのはよくない、とかいう意見は分かる。でもそうじゃない哲学者たちが『死ぬよりマシ』っていきなり言い出すの何?
けどそもそも哲学って『どう生きていくか?』を考える学問だから死なない前提があるのかもしれない。


哲学、ちゃんと学びたいなーと思いつつ全然やれてなかったから今さら図書館で本借りて史学から軽く読んでるんだよね。
大学のゼミの先生が経済学の人なのにやたら哲学するの好きで勉強会で哲学ばっかりやってた。面白いのはわかるが。勉強会のときはイマイチ頭のなかでピンときてなくてそもそも勉強会に参加することが苦痛だったから内容ほとんど覚えてない。ヴィトゲンシュタインとかポランニーとか「はいはいなんとなく知ってます〜」ってフリしてた。そしたら読んだ本でちゃんと解説してくれててやっと理解した。あと2、3冊哲学史読んで気になった人の本読む。ちらっと読んだだけでもJ.S.ミルの天才っぷりが分かって「好き!推せる❤︎」ってなったから多分ミルを読む。哲学者推せるってどういうことやねん。


もうひとつ読んだのは『FBI心理分析官異常殺人者ファイル』。今さらこれ読む!?ってチョイス。だいぶ前に流行ったよね…。
クリミナルマインドを12シーズンまで観てたので理解しやすかった。あー、こういう話あったなあとか。たしかに放火犯はこの傾向だったなとか。


そして次は統計学勉強しなきゃな、と思った。FBIの本でも統計バンバン出てきたし、統計をそっくりそのまま信じるのは危ないけど事実を示してるから参考にする価値はある。大学で全然統計学やらなかったな。統計学のカリキュラムちゃんとしてなかったもんな。あと先生もあんまり統計学が好きじゃなかったからっていうのもあるんだろうな。ツールとか統計学の前提とか勉強するつもり。


肝心の公務員の勉強については何も手をつけられてない。焦燥感で死にそう。やる!って思うタイミングがなくて…。教科的には好きなものが多いし勉強好きだから始めたら楽しいんだと思うけど。とりあえず今月の引越しが終わって本棚と勉強机の整理が終わったら。メンタルが落ち着きはじめたら。たられば女。


久しぶりに読書すると楽しー。ペーパーレス社会が近いのは分かっているがどうにも電子書籍だと読みにくい…。紙の世代の人間だからしょうがない。


とりあえず寝る。病院行っただけで今日はえらかった。頑張った。薬もらいに行ってないけど(行った意味…………)行き帰りの交通費で金なくなっちゃったんやもん。明日働き行く前に薬もらってきます。手元にないだけで不安になる。ヤク中まっしぐら。眠剤が変わるの楽しみ〜。


もうすぐブログ1周年だね。記念に書くこと考えてるからたのしみにしててね。
おわり。