有罪モラトリアム

明日のことはわかりません

終末時計が一周する

2019年の振り返りするの面倒だったからブログが一周年迎えたときの下書き供養しておきます。

 


有罪モラトリアム一周年おめでとう。
みんな祝って!ブログが一年続くなんて結構すごいことだよ。twitterは十年間ずっとやってるけど。


いちばん最初の記事が↓なんだけど学期はじめからのつらさを懇々と語っている。でもブログ始められるってことはまあまあ元気だったんだと思う。頭の整理がついたというか。何を始めるにしてもパニクってたり鬱状態のときは何にもできないからね。 

10月5日まで何があったのか - 有罪モラトリアム


一年前まで学校に通ってたのすごいな。朝起きて準備してバスに乗って登校できてたのすごすぎる。今のわたしじゃ無理だもん。こうやって考えると一年って長いね、いろいろなことがあったね。


九月末日を持って大学院を退学しました。そして現在は五年間済んだ下宿先から実家への引越しました。五年も住めばものが増える増える。本とか服とかだいぶ減らしたけど段ボール箱十箱くらいは必要だった。売れるものは売ったけど売れないものを捨てるのにお金がかかるの嫌だなあと思った。
お菓子を食べたあとの袋をたたんで結んで小さくしてから捨てる癖があったんだけど、英語の先生の前でそれやってたら止められた。「捨てるものにそんな時間かけなくていい」らしい。ゴミを小さくするのはかさばらないようにするためっていうおばあちゃんからの教えだったんだけど、別の考え方があってびっくりした。近年はゴミ袋もお金を出して買う時代になってるから小さな小さな節約のためにもゴミを小さくするのは当たり前だと思ってたけど大学教員という富裕層の人間からすると無駄なことに思えたんだろうな。

 


さて、一年前のことでも懐古するか。
と思ったけどやめた。一年前の鬱屈したことをつらつらと書いてもしょうがないしダサい。もっと鬱病を実感しはじめたのはもう少しあとのことだし。去年の十月六日、ブログを開設する元気はあったけどその前後でだいぶん精神が疲弊していたみたい。初めてリストカットしたのもこの頃っぽい。twitterがマメな日記になってるからツイログを読み返してると地獄なんだよね


ツイログのスクショ貼ろうかとも思ったけどやめます。こんなん見せてもしょうがない。
ひとつだけ今思い出しても嫌な一言だったなっていうのはコレ。


「頑張れって言わないでくださいって前に言われたから言わないけどまあそれ(頑張ること)が真理だよね」


って。誰が言ったの?思い出せねーけど鬱状態の人間にこんなことよく言えたなあ。てめえ!
十月のわたくし、まだうつ病になったことが受け入れられなくて自分は敷いた理想のレールの上を走っていくつもりでいたプライドと理想が高い極度に真面目な人間だったみたい。それは死ぬわ。悩むわ。鬱になるわ。大変だったみたいだね。


結局その後休学するって決めてからも教授のアシスタントとしてバイトしてたりゼミにも顔出してた気がするからほんとに去年の秋はよく頑張った。最低体重にも到達した。
あの頃よりは落ち着いてる。


秋と冬が去って三月が自殺のピークだって飲酒ODしまくってラリってたけどそれももう半年前か。楽しかったでしょうね人に迷惑かけるのは。ていうか人と電話するのがやたら楽しかった。電話が苦手なのに。
 
十月、しんどかったはずなのに毎週のように舞台に通ってた。特に推しが出てなくても観に行ってた。それが生命線だったんだと思う。今年より忙しそう。もう引っ越しが終わって今週とても暇でした。無駄に仕事を休んでた。運転の練習とかしてた。おかげで今日は一人で猫ちゃんハウスまで行けるようになったよ。

 


思い返すと去年と比べて最近は「元気そうで安心した」って他人と会ったときに言われることが少なくなった。SNSを使いこなして自分の切迫状態をまき散らしてたから実際会った人間にそう言われたんだと思う。"元気そうで"って、元気じゃなかったらあなたと会う約束はしていません今ごろ家にこもってます。って当時は思ってたし元気じゃないのに元気に見られてることにむかついてた。会って挨拶しただけのあとに軽々しくよくそんな台詞が言えたものだと。


元気じゃないから安心しろ。
わたしの不幸の蜜の味を楽しんでいいよ。
心から心配してくれた人にも安心してほしい。
去年と比較すると断然、病状は良くなった。
自分に何の価値もないと思うことも少なくなった。わたし頭いい!天才!って日記で書いてるけどそういう虚勢を張ることでなんとか自尊心を保てるようになった。たまに正気にかえると自分の無力さに嫌気がさすけどね。
理想像に近づけないことを受け入れられるようにもなった。おねーちゃんをはじめとする周りのひとに「真面目すぎるね」って言われて気づいたけど真面目すぎるのかもしれない。もしかしたら。自分の頭と心のなかの規範が強すぎる。「こうでなくてはいけない」「こう在らなければいけない」って未だに思ってる。二十四才で田舎でフリーターしてて何やってんだ?って思ってしまう。世界の人口が八十億なら八十億とおりの生き方があるのに。自分の理想に敏感すぎて自分で首を絞めてる。楽しいのか?

 


人を救けるのに理由はいらないけど救けないことにも理由はいらない。
もしあなたの友達が精神を壊して薬と酒浸りになって心身ともにボロボロになってもあなたはたすけなくてもいい。たすけてもいいけど。精神がボロボロの人の話を聞いていると自分も疲れてしまうから。


法治国家に生きてるぶん制限されることはあるけど本当は何をしてもいい。


一年経っただけでたくさんのことが変わった。
でも何も変わらないこともある。
多分お酒も煙草も睡眠薬も辞められない。

 


おわり