有罪モラトリアム

明日のことはわかりません

明日さえ見えぬ君

 

日記

 


1年振り返ろー♪って思っていろいろ見てたら2020年始まった瞬間からリストカットしてて草。怖。なにがそんなに嫌だった?てか1日から働いてたらしい。原因絶対それやん。

今年はさ、コロナで仕事のシフト減らされて金稼げなくてかなり困ったけど労働がなくなったことにより鬱病寛解に至り精神が安定した年だった。

春まではコロナ流行とかいう世界の流動にみんな着いていけてない感じだったしかくいう私も、感染症で現場が中止になったり仕事なくなったりするんだ…って茫然としてたな〜。仕事休めてラッキー♪だった。あまりにもやることなさすぎてメンタル崩れたこともあったけど。

6〜8月は公務員試験のプレッシャーで死んでた。親から受験するように言われてた市役所の試験を当日に飛んだり。全然勉強してないのに高速で1時間かけて試験受けてへとへとになったり。まあ当たり前に就職できませんでした。あ〜あ。

10月くらいから精神科行かなくても大丈夫になった。睡眠薬なくてもなんとか寝れるようになったし。掛け持ちバイト初めて生活リズム整えられてよかった。

元気になってきてよかった!

 

 

 

人生を途中で休むひとと死ぬまで休まない人がいると思う。だけど休まないひとが全員「休まなくても大丈夫」なわけではなくて、いろいろな事情があって休めない人もいて仕方なく休まないまま生き続けているんだと思う。

わたしはここ2年くらい人生を(ていうか社会生活を)休んだ自覚があるんだけど、それを後悔していないし汚点だとも思ってない。そういう風に思わないほうが今後の人生にとって都合がいいと思うし。

人生を休むためには精神的物理的余裕が必要だと思った。社会生活を営めてなくてもまあいいや、って自分を納得させることと金銭面で支えてくれる人(家族など)がいないと無理かも。誰にも頼れない人のために国が制度をつくってるけどそれは『人生を休んだことのないひと』が作った制度だからあんまりうまく機能してないな、と思う。

あと何回人生のなかで1回休みができるんだろう。長距離走と同じで、いったん靴紐を結び直すためにしゃがんで休むと次走り出すのがきつくなるのかもしれない。また休みたくなるのかもしれない。そういう不安がある。

でも休んではいけないという決まりはないし人生はマラソンではないので完走することが良しということではないと思う。このへんは死の哲学みたいなところがあるので今パッと言えませんが。もちろん大半の人間は完走するのが良しという人もいるけど誰にも生き方は縛ることができないし同様に死に方も縛れないよ。

1回休んだからまた休みたくなっちゃうのかもしれないけどそういう自分を許していくことがうまく生き抜くコツなのかもしれない。元気なときだけ頑張って、元気じゃないときは存分に休む。当事者自身もそれを許せたらいいし、それを許してくれる社会になったらいいよね。

 


ぼんやりしながら生きていきたい。

他人と比べて落ち込んだり焦ったりすることなく。人生は1回きりっていうけどあえて人生なんか何回でもあるっつーの!って思ったほうが生きやすいのでは?

 


わたしはこの田舎でかわいい猫とぼんやり生きていきます。それでは、良いお年を。

来年はもっと小まめに日記を書こうかな。