有罪モラトリアム

明日のことはわかりません

更新停止報告

こんな日が来るなんて思わなかった。

 


就職しました。

誕生日も迎えて、25回目の春を待っているところですが、精神的にも区切りがいいのでこのブログは今回が最後の更新です。

エヴァも終わったし有罪モラトリアムも終わるよ。

最後にいろんな気持ちを整理して置いておこうかな。

 


後悔はない

大学4年くらいから鬱病の傾向が出始めて、進んだ大学院も辞めてしまって、就職も同級生より遅れてしまったけど、後悔はしてない。

「あの時ああすればよかった」とか「〇〇をしなければよかった」「××って言えばよかった」「△△しておけばよかった」とか、無い。鬱病になったこともリストカットの痕がこの先ずっと消えなさそうなことも全部、しょうがないことだなって思ってる。

"鬱病になって良かった"とは思わないけど"ならなければ良かったのに"とは思ってない。今は。(実際罹患中は何でこんなことになってるんだよ!って苦しかった。)

わたしの性格上、遅かれ早かれ生きていく最中でこういう状態にはなってたでしょう。

昔からどちらかといえばネガティブだったし、プレッシャーにも弱かった。人間関係も苦手だった。家族が拠り所だったのに高校2年から突然ひとり暮らしすることになって、今思えばそのくらいから少しずつ具合が悪くなっていったんだろうな。

みんなが親にお弁当作ってもらって家に帰ったらご飯もお風呂も用意されてる中、家のことを全部ひとりでやらなきゃいけない。部活も勉強も大変なのにさらにストレスが積み重なってた。3年になったら受験のプレッシャーも増えるし。(遅れてきた厨二病のせいもあったけど、)多分普通の高校生は授業中に窓の外見て「飛び降りて死にたい」って思わんのよ。可哀想で愛おしいな。え?言ってることヤバ。

周りと違うことがストレスだったんだな〜、きっと。

それが始まりで、大学に入ってから少し落ち着いたけど3、4回生くらいからまたぶり返してきた。やらなきゃいけないことは多いのに大学に行けなかったり、ゼミも先生がせっかく用意してくれた勉強会も当日になって休んだり。休んでしまった罪悪感が心に重くのしかかってきて悪循環。学生生活の最後のほうは玄関で体が震えたり行き帰りのバスで泣いたりしてた。

いろいろなことが長い間ゆっくり時間をかけて溜まってきて、それが爆発してしまったのでああいう風になった。

まあ、しょうがないよね。

責める理由もない。

 


就職先の仕事内容、やってみたいなと思った仕事なんだよね。

やりたいこと見つけられたのもああいう過去があるからだし。〜のおかげっていう言い方は絶対したくないけど、まあそういう部分もあるかなって。

 


アイデンティティが無いままでいるのは怖い

大学院に入ったころは"大学院生"っていうアイデンティティがあったけど退学してから自分が何者なのか分からなくなった。

友達がみんな働いて"社会人"してるなかでわたしがわたしとして友達に話せることがまったくなくて不安だったし、自分には何もないなと思って引け目すら感じた。「みんな頑張ってるのに自分は何やってるんだろ?」って何回も思った。

自分の話題がないと友達と話すこともできなくなる。

だから自分に肩書きを作ろうとしてメンヘラっつって自虐したり2.5次元舞台追っかけてるオタクであろうとしたりしてた。(いやオタクはオタクなのよ) Twitterでめっちゃバズってるメンヘラの人たちは自分のことをコンテンツにしすぎ。それやってたらふと我にかえったときの虚無感すごいよ。

別に何者でもないわけではないんだから。小学校の友達にしても"小学生時代を一緒に過ごした友達"ってだけで充分なんだからさ。自分に何もないわけじゃないし、何もなくてもいいよ。

こうやって理解するのなかなか時間がかかるし、難しい。今も"就職した"って肩書きが出来たからこんなこと言ってられるのかもしれないし。

別に何者かであろうとしなくてもいいんだけど、つらいのはつらい。

何もない自分と話してもしょうがないかも、って勝手に思っちゃって友達と連絡取るの億劫になっちゃった時期だった。ほんとは人との繋がりをすっっごく求めてたのにつらかったな。

だから今やっと大学のときの先生や友達や先輩に報告できてるのとても嬉しい。浮かれてんな〜。

 

 

 

これからも変わらないでいたいこと

鬱だったときに考えてたことは忘れないようにしたい。

自分が相当辛かったとき他人から何言われても傷ついて、一言一言に考えすぎてたから、同じように辛い状態にいる人と接するときはかける言葉に気をつけたい。

頑張れって言わないことは当たり前だけど、「元気?」とかもあんまり言わない。

「元気?」って言われたとき、元気じゃないんだけど!やっぱり人間は"元気"な状態でないといけないのか!?って焦ったりしてたから。え?ヤバ。面倒すぎでしょ。今思えば。でも事実だったからしゃーない。

 


フラッシュバックしないように気をつけること

・規範を作りすぎない("〜すべき"って言わない)

 (そもそもこういう項目を作らない)

・他人と比べない

・自分が出来ることを他人が出来なくてもイライラしない=他人が出来ることを自分が出来なくても落ち込まない

これめっちゃ大事!自己肯定感が低いとイライラしてしまう。大学のときかなりイライラしてた。「(こんなに駄目な人間である)私でも出来ることをなぜあなたは出来ないの!?」つって。

自分はまあまあ有能だから出来るけど他の人はね(笑)……くらいの傲慢な気持ちでいるくらいが丁度いいっぽい。

 


まあ正直フラッシュバックかなり怖い。また前みたいに眠れなくて毎日希死念慮にさいなまれるのはやだ。痩せるのは歓迎ですけど。

 


ブログ更新停止するけど消しません

この前ブログに初めての誹謗中傷(?)コメントが来てびっくりした。インターネットという荒波にブログを公開してるんだからたまにはそういう意見も来て当たり前だけど、いざ自分に来てみると悲しくなっちゃったな。

それも更新停止する一つの理由です。

ブログごと削除しようって思ったけど一応残しておく。

 


別に鬱だった自分のこと黒歴史とは思ってない。イタすぎ草。って思う記事はあるのでそれは徐々に非公開にしておきます…。

自分が書いた文章わりと好き。ああいう状態下で書いたことであっても、今でも理解できる内容はあるし、理解できなくなってもそれはそれで考え方の変化という意味で残しておきたいし。

自分がつらかったときに同じ状態の人たちのブログを検索して読んでみて、同じ境遇の人がいることに安心した経験もあるので。

更新停止したブログやTwitterアカウント見てるとゾッとしたこともあったから、このブログは最後にこの記事を残しておくね。

 

 

 

Twitterのアカウントも消さずにログアウトして置いておこうかな。

依存する場所を一つにするのはリスクが高い。

ブログ通して知り合った人もいるし、その人たちとの縁を切るのもなんか違うから いつでも戻って来れる場所として消さずにおきます。

仕事始めたら始めたで新しいストレスも発生するだろうし。

 


日記書くこと自体はずっと辞めません。14歳からやってきたことだし。こんだけ続けたらマジで死ぬまで続くと思う。

だからまたインターネットで公開するときがあればこっそり教えるね。

 

 

 

 


モラトリアムは終わりました。

終わることが良い・悪いという話ではない。私がモラトリアムを終えたからといって他人もモラトリアムを終えるべき、という話をしたいわけでもない。(第二次モラトリアムがいつ来るかも分かんないし)

ただ、事実として、私のモラトリアムは終わりましたよって話。

有罪ではないです。無罪でもないかな……。有罪取り消し、くらいでちょうどいいのでは。

 


それでは、さようなら。