有罪モラトリアム

明日のことはわかりません

好きでメンヘラやってんのか

 

普通の人間になれそうかも


眠剤無しでも寝付けるようになった。
でも中途覚醒はよくあって夜中に何度も起きる。悪い夢をみる。ママと喧嘩する夢とか言いがかりをつけられて反論する夢とか、この前は財布を落としたら知らない男子大学生が私のフリして拾っててそれを取り返そうとする夢とか。
他人に反論する夢をよくみる。"論"じゃなくてとにかく投げつけられた言葉に対して返すだけ。現実で追い詰められる局面に遭遇したときうまくかわせるように予行演習してるんだなと思う。
「自分は自分だし、私がいちばん頭いいし」っていつも思ってるって話をしたけど結局こわいんだと思う。


誹謗中傷がこわいし人にどう思われてるかがこわい。人間関係にうまく溶け込めない自分がこわい。死ねない人生がこわい。

 


「普通の人間になれそう」の話に戻そう。


とにかく睡眠剤がなくても眠れるようになったし辛いものを食べて辛いと感じるようになった。アルコールで過剰服薬することもなくなった。そもそもたくさん酒を飲めなくなった。リストカットもしてないし友達に「死にたい」とわめき散らすこともなくなった。まだ希死念慮はあるけど。
仕事にも行けてる。先月当日欠勤したことは除いて。1月4日のあれ以来、仕事の日にはちゃんと起きて準備して出勤できてる。帰宅してから気絶するように寝てない。あとは前まで生理前にとくに気分が落ち込んで自殺未遂ギリギリのところまでいってたけどそれもない。


うつ病、治ってきてるんじゃない?
普通の人間になれそうでは?


普通の人間ってなんだ


普通の人間はこんな日記書かない。普通の人間は抗うつ剤飲まない。でも普通の人間だってときどき気分が落ち込むこともある。

 


生きてたって、どうせなにも変わらない。


エスパーじゃなくても、だいたいこれからどの程度のことが、世の中や自分の身に起こるのかもわかってる。(中略)
男なら20代後半で結婚して翌年に子どもをつくって、何回か異動や昇進をしてせいぜい部長クラスまで出世して、60歳で定年退職して、その後10年か20年趣味を生かした生活を送って、死ぬ。
どうせこの程度のものだ。


しかも絶望的なことに、これがもっとも安心できる理想的な人生なんだ。


完全自殺マニュアル /鶴見済

 

 

"この程度"の普通にはもうなれない。こんな理想的な普通はこの先ない。目指す気もない。安心できて理想的だとしても。


私のなかで"普通"のハードルが高すぎるだけでもっとずっと前から私は普通に普通の人間だったし何者でもなく何者にもなれない。
うつ病が治りそうなことを"普通になれる"って言ってるだけ。


うつ病が治ることもこわい。
気分の憂鬱を病気のせいにできなくなりそうで。
自分がただの根暗でネガティブ思考で構ってもらいたがりなだけの人間であることを認めるのはまあまあしんどい。


ずっと前のブログでも書いたかもしれないけど、私はもう「自殺できない人間」として生きていくしかないのかもしれない。死にたい気持ちと共生してこの先を送ることに絶望してる。若さっていう執行猶予期間もなくなる。ただ年をとっていくだけなのに。


死にたい気持ちなくせば?って言われそうだけどそんなの無理なんだよ。死にたいと思ったことのない人間いる?ハワイに旅行したーい、くらいの死にたさ持ったことはあるでしょ

 


普通の人間になれそう、でもなりたくない。
好きでメンヘラやってるんだと思う。
死にたいと思いながら生きていくのつらいけどどうしようもできない。勇気がない。


ずっと悲劇のヒロインみたいなふりして生きていくんだろう。
気持ち悪い。

 

 

 

簡単だよって噂より難しい。

大事なことはもうちょっと前にあった。

 

 

負の相互作用

 

ママと過ごすの三日も経てば嫌になる。わたしもママも嫌になる。


ママのことは好きだけど「ありえない」と思うことが多くてわたしはわたしで自分の考えが一番正しいと思ってるから分かり合えない。


パパが入院することになったから単身赴任してるママに休みを取ってもらって呼び戻した。

 

結局入院は四日くらいで済んだけどママにとっては「仕事を休んでまで家族の見舞いに行く」ことが不服だったらしい。
わたしはそれは当たり前のことだな、と思ってる。


何を優先するかの話。
ママは結局仕事を一番に取る。生活するお金のためもあるけど、家族よりも他人を取る。


舌噛み切って死にたくなる。

おくすりトーナメント

 

降圧剤vs睡眠導入剤vs筋弛緩剤vsカフェイン

 

アムロピジン(カルシウム拮抗剤)→降圧剤

ネスタブロチゾラム(レンドルミン)→睡眠導入剤

メイラックスジェネリック→筋弛緩剤

スーパーで298円のアイスコーヒー

 

東京にいなくてよかった、絶対ドラッグに手出してるから。

 

カフェイン錠は頭がスッキリするよって話を聞いて、なんでそれ高校生のときに教えてくれなかった!?って思った。帰宅して半分寝ながら勉強してた苦労なくせたじゃん。

明日エスタロンモカ買ってこれから仕事の日やどこか行かなきゃいけない日には飲むことにしよっ。

 

カルシウム拮抗系の降圧剤飲むと、血管の収縮を抑えられるらしい。てことは血管が広がって他の薬の成分が回りやすくなるってことじゃん?ちがう?

分からなかったら調べてみよう、調べてみてもダメならやってみよう

 

14時から魔の3時間。やってみることはこれぐらいしかない。

「死ぬこと以外かすり傷」とか言ってる人間と絶対関わりたくないし本当にそうなのか試してから言ってほしい。そういう人間こそ周りのひとをメッタ刺しにして傷つけている。

 

仕事辞めるらしい友達が、うつ病っぽくなってたらしいんだけど

うつ病って診断書出されたら転職先に響きそうだから病院行ってない」

って言っててブチ切れそうになった。

差別もいいとこだよね。

そんな簡単に診断書出してくれねーから。

お前はそうやって一生ファッヘラやってろ。

あと「うつ病だから雇いませ〜ん」っていう会社なんかこっちから願い下げだわ。

 

健全な人間だけで回ってる社会に吐き気がする。

永遠にサヨナラ。

 

 

中途半端採用日記

死んだと思ったけど生きてた。
鬱がきてゆっくり抜けていってまた冬季うつが来ている最中です。


でも先週は久しぶりに東京まで旅行に行ってそのときその後少しは躁状態でした。普通に東京旅行の話とおねえちゃんと遊んだ話とあとは猫の話を日記に書きたい。から前記事のすげーーー鬱な雰囲気を一旦飛ばしたくって今日書いています。


冬季うつ、仕方がなさすぎるね。
あと貧血気味なのも原因してるのかな。あっかんべーしたときに下瞼の粘膜が白かったり甘いものがたくさん食べたくなったりすると貧血です。ヘモグロビン値が通常の三分の一になって入院したことがあるわたしからの知見です。
とにかく眠い。夜八時間寝てもまだ眠い。とりあえず朝起きて猫にご飯あげてわたしもご飯食べたり水飲んだりするんだけど、それから二度寝してしまう。正午まで意識がハッキリしない。
昼過ぎても十四時から十八時までは寝ちゃう。その時間帯が嫌いって理由もあるけど最近は眠気に勝てない。
今日は運転したけどコンビニで駐車してるときに眠くなってきて「ああ、やばい」と思って真っ直ぐ帰宅した。
晩ご飯食べる気もないけどお腹は空くからいちおう食べるでしょ、お風呂入るでしょ、また眠い。二十一時には就寝してしまう。


もっとやらなきゃいけないことはあるのに。
やらなきゃいけないこと……掃除機かけるとか、机の上を片すとか、勉強するとか。でも横になる以外無理。散歩なんてもってのほか。これを書きながらも眠くなってる。


でもまあ、考え方が変わったから全然焦らなくなった。眠ければ寝ていい。べつに仕事も遊ぶ約束もないんだから。猫にご飯もあげてるし。
なーんも焦ることない。元気なときにまたやろっ。


新しい睡眠導入剤が"ルネスタ"っていうんだけど、作用期間短いし苦いしで嫌いです。マイスリーのほうがよかった。


最近お酒飲んでないのえらすぎる。チェーンの居酒屋で出されるうすーく割った緑茶サワーはお酒にカウントしない。緑茶よアレは。
でも本心は、休みがつづくしアルコールで睡眠剤流した〜いって感じです。ちなみにこれをやると翌日虚無と胃痛が襲ってくるからオススメはしません。


寝る、眠くなってきた。
パパに「いつもお前寝てるばかりだな」って言われるけど呼吸して生きてるだけで観念してほしい。生きてるだけでいいらしいじゃん?これは人から聞いたんだけど。


優生思想も労働賛美もクソ社員の「将来なにになるつもりなん?」っていう漠然とした質問もぜ〜んぶ右から左に流して寝るよ。嫌なことはやらない。


今まですごく頑張ったから、もう逃げる。嫌なことからどんどん逃げる。サヨナラ。おやすみ。
 

レンタルメンタルクリニック

 

死ぬこと以外かんがえられない

 

手首を刃物で切る痛みは人それぞれだけど、もう何本もある傷跡のうえからさらに切っても痛くなくなっちゃった。つまり痛みへの逃避ができなくなってしまった。

 

オーバードーズできるだけの量の薬もない。寝たいんじゃなくて死にたいんだよ

 

iPhoneの充電コードをロフトベッドにくくりつけた。もう断線しちゃって充電できないだろうなあ

座ったままでもくびはつれる、でもやってみたら苦しかった。苦しくて泣いた。死ねなくて涙が出たのかも。息を長く止めるのは得意だけどその先までいけなかった。何回か練習してたらすべて終われそうな気がする。朝起きたらコードの痣すらついてなくて呆気なかった。

 

ふつうに働ける日ではなかった

わたしの甘ったれた脳味噌がそうやって判断してしまったギリギリになって『今日行けません』やっちゃった。鬱に厳しい店長が代わりに出てくれたらしい。『鬱病なんか関係ないから。こっちだって大変なんだから。迷惑かけてるのわかってる?』って夏頃に言われた。迷惑かけてるし殺してほしい。次の出勤日が怖い。当たり前に責められる。責められるのは当然のことだと思うけど。すみませんすみません、って、自分の愚かさと社会に適合出来てなさすぎることを傷口に思いっきり塗りつけられる。この世界では当然の所業らしい。

 

死ぬこと以外何もかんがえられない。この場所でできるのはくびつりだけ。カミソリで頸動脈に狙いを定めるのは難しそう。眠るようにしにたいのに。静かに死んでいきたいのに。

 

いつか『死ぬ前には自分と関わりがあった人間全員に電話する』って言ったことあったけど実際に直面してみるとそんなこと無理って分かった。話したいことはあるけど伝えるのが無理。電話なんかできないよ。だからやっぱり人は突然死ぬ。

何回も何回も狂言自殺繰り返して、そのうちに死ぬ。

 

たとえば某アイドルと結婚した某アナウンサーが付き合ってるときにSNSで匂わせしまくってたでしょ?ファンの皆んなは嫌だったと思うしわたしも性格わりー!と思ってたけど実際結婚ってなったとき『ああやっぱり……』感が強くてダメージ減ったでしょ?知らないけど。

だからわたしも自殺を匂わせて匂わせて『あーあまたアレかよいつものやつだわ性格わりー!』と思わせておいたほうが残したみんなのダメージが少ないかな?と思って。

わたしが今言えるジョークはこれくらいだよ。

 

死にたいって突然言われたら人はどういう反応をするんだろう。実験してもいい?するね、ごめんね。

 

じゃあね

終末時計が一周する

2019年の振り返りするの面倒だったからブログが一周年迎えたときの下書き供養しておきます。

 


有罪モラトリアム一周年おめでとう。
みんな祝って!ブログが一年続くなんて結構すごいことだよ。twitterは十年間ずっとやってるけど。


いちばん最初の記事が↓なんだけど学期はじめからのつらさを懇々と語っている。でもブログ始められるってことはまあまあ元気だったんだと思う。頭の整理がついたというか。何を始めるにしてもパニクってたり鬱状態のときは何にもできないからね。 

10月5日まで何があったのか - 有罪モラトリアム


一年前まで学校に通ってたのすごいな。朝起きて準備してバスに乗って登校できてたのすごすぎる。今のわたしじゃ無理だもん。こうやって考えると一年って長いね、いろいろなことがあったね。


九月末日を持って大学院を退学しました。そして現在は五年間済んだ下宿先から実家への引越しました。五年も住めばものが増える増える。本とか服とかだいぶ減らしたけど段ボール箱十箱くらいは必要だった。売れるものは売ったけど売れないものを捨てるのにお金がかかるの嫌だなあと思った。
お菓子を食べたあとの袋をたたんで結んで小さくしてから捨てる癖があったんだけど、英語の先生の前でそれやってたら止められた。「捨てるものにそんな時間かけなくていい」らしい。ゴミを小さくするのはかさばらないようにするためっていうおばあちゃんからの教えだったんだけど、別の考え方があってびっくりした。近年はゴミ袋もお金を出して買う時代になってるから小さな小さな節約のためにもゴミを小さくするのは当たり前だと思ってたけど大学教員という富裕層の人間からすると無駄なことに思えたんだろうな。

 


さて、一年前のことでも懐古するか。
と思ったけどやめた。一年前の鬱屈したことをつらつらと書いてもしょうがないしダサい。もっと鬱病を実感しはじめたのはもう少しあとのことだし。去年の十月六日、ブログを開設する元気はあったけどその前後でだいぶん精神が疲弊していたみたい。初めてリストカットしたのもこの頃っぽい。twitterがマメな日記になってるからツイログを読み返してると地獄なんだよね


ツイログのスクショ貼ろうかとも思ったけどやめます。こんなん見せてもしょうがない。
ひとつだけ今思い出しても嫌な一言だったなっていうのはコレ。


「頑張れって言わないでくださいって前に言われたから言わないけどまあそれ(頑張ること)が真理だよね」


って。誰が言ったの?思い出せねーけど鬱状態の人間にこんなことよく言えたなあ。てめえ!
十月のわたくし、まだうつ病になったことが受け入れられなくて自分は敷いた理想のレールの上を走っていくつもりでいたプライドと理想が高い極度に真面目な人間だったみたい。それは死ぬわ。悩むわ。鬱になるわ。大変だったみたいだね。


結局その後休学するって決めてからも教授のアシスタントとしてバイトしてたりゼミにも顔出してた気がするからほんとに去年の秋はよく頑張った。最低体重にも到達した。
あの頃よりは落ち着いてる。


秋と冬が去って三月が自殺のピークだって飲酒ODしまくってラリってたけどそれももう半年前か。楽しかったでしょうね人に迷惑かけるのは。ていうか人と電話するのがやたら楽しかった。電話が苦手なのに。
 
十月、しんどかったはずなのに毎週のように舞台に通ってた。特に推しが出てなくても観に行ってた。それが生命線だったんだと思う。今年より忙しそう。もう引っ越しが終わって今週とても暇でした。無駄に仕事を休んでた。運転の練習とかしてた。おかげで今日は一人で猫ちゃんハウスまで行けるようになったよ。

 


思い返すと去年と比べて最近は「元気そうで安心した」って他人と会ったときに言われることが少なくなった。SNSを使いこなして自分の切迫状態をまき散らしてたから実際会った人間にそう言われたんだと思う。"元気そうで"って、元気じゃなかったらあなたと会う約束はしていません今ごろ家にこもってます。って当時は思ってたし元気じゃないのに元気に見られてることにむかついてた。会って挨拶しただけのあとに軽々しくよくそんな台詞が言えたものだと。


元気じゃないから安心しろ。
わたしの不幸の蜜の味を楽しんでいいよ。
心から心配してくれた人にも安心してほしい。
去年と比較すると断然、病状は良くなった。
自分に何の価値もないと思うことも少なくなった。わたし頭いい!天才!って日記で書いてるけどそういう虚勢を張ることでなんとか自尊心を保てるようになった。たまに正気にかえると自分の無力さに嫌気がさすけどね。
理想像に近づけないことを受け入れられるようにもなった。おねーちゃんをはじめとする周りのひとに「真面目すぎるね」って言われて気づいたけど真面目すぎるのかもしれない。もしかしたら。自分の頭と心のなかの規範が強すぎる。「こうでなくてはいけない」「こう在らなければいけない」って未だに思ってる。二十四才で田舎でフリーターしてて何やってんだ?って思ってしまう。世界の人口が八十億なら八十億とおりの生き方があるのに。自分の理想に敏感すぎて自分で首を絞めてる。楽しいのか?

 


人を救けるのに理由はいらないけど救けないことにも理由はいらない。
もしあなたの友達が精神を壊して薬と酒浸りになって心身ともにボロボロになってもあなたはたすけなくてもいい。たすけてもいいけど。精神がボロボロの人の話を聞いていると自分も疲れてしまうから。


法治国家に生きてるぶん制限されることはあるけど本当は何をしてもいい。


一年経っただけでたくさんのことが変わった。
でも何も変わらないこともある。
多分お酒も煙草も睡眠薬も辞められない。

 


おわり

 

棺桶に手紙

わたしが死んだら手紙を書いて棺桶に入れてほしいって言ったけど、生きてるからうちにも手紙を書いてほしい。


5分とか30分とかちょっとだけでもいいからわたしのこと考えてる時間がわたしの好きなひとたちみんなの中に欲しい。

 


高校3年間ずーっと仲良かった友達から連絡が返ってこなくって落ち込んでる。クラスも部活も3年間ずっと一緒で当時ほぼ独り暮らししてたわたしにとって親より過ごす時間が長い友達だった。それなのに大学離れてでもわたしが地元に戻ってきて、でも連絡が返ってこない。
わたしなんかと違って毎日激務をこなしてる忙しい社会人だからしょうがないのかな?これは一理ある。
もしかして忙しすぎて精神的に病んでしまってかつての友達とも連絡取れないくらいヤバい状態なのかな?これだったらすごく心配だし助けになりたい。わたしは鬱で何もできなくなっても友達に必死で縋った人間だし。プライド高すぎ人間でも落ちるとこまで落ちたら誰かに頼らずにいられなかったよ。


『たった3年間』仲良しだっただけで、卒業したらもうそれっきりなのかな?相変わらずドライだなー。


仲良しだったという前提が間違ってる説もある、そうだったら苦しすぎるけど。


悲しいしちょっとムカつくから絶対わたしのほうが早く死ぬことにするね。返信しておけばよかったー…って思ってね。棺桶に手紙も入れてね。

 


年末年始、帰省の話題が多いなか今月ずっと考えてることでした。おわり。
わたしは人の顔色うかがいまくって血管まで見ようとするタイプだし小学生時代の出来事を今でも思い出せるくらい根に持つタイプだよ……


さみしくって仕方がない。