有罪モラトリアム

明日のことはわかりません

ママになりたかった


厳密に言うと「ママみたいに」なりたかった。
「子を持つ」という意味ではなくて、ママというのはたまたまわたしを産んだひとであって、彼女のようにわたしはなりたかった。

 

わたしのママのことなんだけど、
パパと結婚してからパパの地元に引っ越して来てわたしを産んでくれた。右も左も分からない田舎で友達も知り合いもいない土地で頑張って育児をしていた人。
怒るときはめっちゃ怖いけど(笑)、優しくてご飯作るのも裁縫も他のいろんなことも上手でいわゆる世間体でいうと「良い母親」だったと思う。

わたしが幼稚園に入ってから接客業のパートを始めてそれはそれは楽しそうだった。自分でも「これが天職やと思った」って言ってた。なのでどんどん昇進してわたしが小学4年生くらいのときには社員になって県外に単身赴任することになった。

 

『子供と夫を置いて一人県外で働く』


って当時は周りからすると信じられないことだったと思う。今でも「お母さんが単身赴任?珍しいね」って言われる。父親が単身赴任の家庭はちらほらいたけど、母親が単身赴任の家庭はわたしのうち以外知らなかった。
今は『キャリアウーマン』だとか『女性の社会進出を推進』とか言われてるけど、それでも今でも白い目で見られることはある。
ママは同僚から「旦那さんと子供さんすごいね〜理解あるね〜」ってよく言われるらしい。皮肉?なんかな(笑)パパは自分のモットーが「自分の好きなように生きる、好きなことをする」だからそれをママにもわたしにも適用してくれてる。でもわたしはどうかな、理解あるかどうかは分からなくて我慢はしてたかな。

 

 

さて、一番身近なロールモデル?って家族だと思いませんか?学校の先生、っていう子もたけど。わたしはそれが母親だった。

上に書いたみたいなママの生き方が、小さい頃の自分の中では「良いもの」で「正しく」て「信じて目指して行くもの」なんだと思ってた。
今になっては人の生き方において良いも正しいも言えないと思うんだけどね。てかそう思いたいよね。

 

だから小学校4年のころ将来の夢は?って聞かれて
「どこでもいいから就職して、バリバリ働いて36歳で過労死する!」
って答えてた。
なんで36歳だったかって、わたしが小4の頃ママが36歳で県外で単身赴任を始めた年齢だったから。


でもそれが不可能なことなんだなあって気付いたのは大学3回生くらいになってからだった。
遅っ。
でもそれも薄々で、気付いてないふりをしつつ。
就活で周りのみんながソワソワしはじめて『どんな生き方・働き方がしたいか?』って質問をよく目にするようになって、やっと今までしつこく信じてたママ(の働き方)への疑念?を抱くようになった。

 

「これ、わたしには無理なんじゃない?」

 

ってモヤモヤを大学院に進むことになってからは『院でちゃんと研究して論文書いて結果出して良い企業に就職してバリバリ働くぞ!』って思いの裏に隠しながら生活してた。

『無理だ』って思えなかった理由があるんだよね。


それは、小さい頃の自分が可哀想だったから。
幼稚園、小学校、中高までもママがいなくて寂しかった。(もちろんパパとは一緒に暮らしててパパがご飯も作ってくれてやってたクラブの送迎もしてくれてたけど)
周りのみんなはお母さんに迎えに来てもらったりお弁当作ってもらったりしてるのに、自分だけそうじゃなかったし。そういう周りとの違いって、幼少期は気になるものだよね。

ママがいなくて寂しい、悲しい。でもうちのママは他の家の専業主婦なお母さんたちと違って立派に働いてるんだ!社会進出してる!かっこいい!と思ってた。
そう思わないと自分の寂しさが緩和されなかったんだよね。わたしは寂しいけど、それを我慢すればいいだけだし、ママが頑張ってるのに心配かけちゃいけないなあとも思ってた。

 

※もちろんこれは過去の考えであって、専業主婦(夫)の生き方を批判しているわけではないよ!家事も労働の一環だと考えてる。それに生き方や働き方に(基本的に)貴賎はないとも思ってる。

 

そういうわけで『ママみたいになりたい』。厳密には『家庭を省みることさえも後付けにがむしゃらに働きたい』(この言い方ヒドイな)
という気持ちをなかなか諦めきれなかったのです。


けど鬱になって分かったよね
てかメンクリの先生に言われた
「お母さんみたいにはなれないよ。
お母さんとあなたは違う人間だから」
違う人間だし、生きてきた時代も違うし、育ってきた環境も違うからね。
って言われた。

 

まあ分かってたけどやっぱり悲しい、ってか残念だなあと思う。
今までずーーーーっと掲げてたロールモデルを崩されるのはかなりダメージをくらうよね。

 

『〇〇みたいに』
ってよく思う。
大好きだった大学の先輩たち、明るくて優しくて面白くて就職先も良いところで自分のやりたいことを頑張ってる。
院進決めた同期、学部生のときから頭よくて自分の考えをしっかり持ってて院生になってからもほんとにたくさん勉強してたし。
鬱のとき電話くれた友達、自分と他人を割り切って考えられるから他人に怒らないところ尊敬してた。
他の友達みんなも、わたしの周りは良い人が多すぎて憧れる部分が多すぎた。

 

あと、全く世界が違う人たちにもそう思う。笑
ドルオタとか若手俳優オタとかそういう人たちなら分かってくれるんじゃないかな〜って思うけど
「亀梨くんみたいに笑顔でがんばろっ♡」
「横田龍儀くんみたいにネガティブでもいつも頑張ろ!」
みたいな。

※横田龍儀くんというのはわたしが最近大好きな俳優さんです。

 

『誰かのようになりたい』
の憧れを消すことって難しい。
自分とその人は別の人間、生きる世界がちがう。
そうやって割り切ることがわたしにとっては難しかった。今も完全には割り切れてない。

オチが思いつかない。


結局、わたしはママみたいにはなれない。
こういうと「いやいや、決めつけんなって。なれるかもしれんやん?」って言ってくれる人がいるかもしれないけど問題はそこじゃなくて、『〇〇みたいになる』って考えを改めなきゃいけない。
自分は自分だからね。
わたしはママが好きすぎる…
ザコンすぎてやばい話はまた書きます。

てことで、はーあ。わたしどうしたらいい?笑
って感じです。

 

今日はここでおわり。