有罪モラトリアム

明日のことはわかりません

南条あやちゃんへ

 

あの子みたくきっと死ねないわたし
変わろうとも変われない時代と似てるかな


平成死亡遊戯 / アーバンギャルド


 


平成のインターネットアイドル
元祖インターネットアイドル
南条あやちゃんの20回忌が過ぎました。


南条あやちゃんを知らない人はこちら↓
南条あや - Wikipedia

南条あやの保護室─Wofficial Memorial Site─

 


南条あやちゃんを知らずに18歳を超えて
平成最後の3月のうちに死のうと思って4月1日を迎えてしまいました。今月死ななきゃ来月には元号だって変わります。平成とあやちゃんに置いていかれます、待ってくれませんね。
南条あやちゃんがインターネットで書いていた日記は『卒業式まで死にません』として発売されましたが、今はなかなか新品で手に入れられません。わたしもメルカリで買いました。ごめんねあやちゃん、あやちゃんパパ。
でもそういう中古本を手にすることによって、日記を読んだ人の手から他の人の手にあやちゃんのことが伝わっていくんだなと思うと『卒業式まで死にません』は聖書のようで「南条あや」は神なのかもしれないと思います。神というふうに崇めたくはないけれど神という重荷を背負わせたくはないけれど。影響力の大きさという意味でそう言わせてください。


あやちゃんが最後に書いた詩には

 


そして私は永遠に眠るために今
沢山の薬を飲んで
サヨウナラをするのです
誰も私の名前を呼ぶことがなくなることが
私の最後の望み


とあったから、鈴木純ちゃんは南条あやちゃんでいることに疲れてしまったのかもしれませんね。自分のこころの傷みや地獄や辛い出来事をあんなにポップに明るく日記として表現するにはそれなりの対価が必要だったんじゃないかな、と思います。磨り減ったこころをさらに微塵切りにしていくように。


「メンヘラをコンテンツ化」して死んでいった人たちがSNSの普及によって増えていった。メンヘラ神だって恐らくそのひとりだった。南条あやちゃんはその元祖だと言われたりもしている。
今や「病み系アイドル」なんて言われてリストカットしながら歌をうたう女の子たちがそのへんにゴロゴロいる。


この世は健全な人間だけで回っているようにみえるけど、そのなかには確かに 不完全で、何かが欠落していて、周りの歩幅に合わせられなくて、他人の言動によって傷つきやすくて、感受性が高いためにつらい思いをする子たちがたくさんいる。子どもだけじゃなくて大人もいる。


インターネットが巡って、スマートフォンの小さい画面から広い世界を見られるようになって良かったと思う。
同じようにつらい感情を抱いている人がいるって分かるし、身近な人間には理解されなくてもどこかには理解してくれる人がいるって分かるから。


南条あやちゃん、平成は終わります。
南条あやちゃんになりたかった人たちがきっとたくさんいて、わたしもそのひとりです。
でもあなたみたいに楽しい文章は書けないしあなたみたいに死ねなかった。
これから死ぬことになるかもしれないけど。


南条あやちゃん、日記を読んだだけですが
あなたのことが好きでした。尊敬していたし共感していました。
リストカットがやめられない、よく分からない不安に襲われる、専門学校に行くことを諦めて、学校の友人たちとは違う道に進んでいくちょっとした不安。パパのために良き娘でいようとしたこと、悪口も書いていたけどパパのこと大好きだったんだと思っています。
全部とは言えないけれど、同じように感じることができます。


南条あやちゃん、あなたのいる世界に一瞬でも生きてみたかった。
これからも安らかに。


2019年4月1日